中学生がスポーツを行う価値について考えてみた
中学生が部活動やクラブチームでスポーツを行うことの価値って何だと思いますか?
高校に推薦でいけるような実力や能力があるわけではない。
大学や実業団、プロになるまでそのスポーツをやる覚悟をもっている選手の方が少ないと思う。
でも、多くの保護者や指導者はそこに価値を感じているから、スポーツに携わる人がいなくならない。
当然、そのスポーツ自体の魅力もあるけれど、やっぱり指導者自身がその価値をしっかりと分かっていないと、体罰や暴言も含めて良くない方向に進んでいってしまう。
今日は、根本的で、でも1番大切な価値について考えてみた。
僕は、スポーツに携わる価値というのは「頑張り方を学ぶこと」と「感動をもらう(与える)事ができる」だと思っている。
1つ目の「頑張り方を学ぶこと」というのは、そのまんまだけど
何か物事を始めて、スキルを身に付けたり成績を残したりするようになるまでには、時間の使い方やエネルギーの注ぎ方、他者との協働の仕方や、あるいは戦い方を学び、自分で工夫していく必要がある。
練習せずに楽して結果が残ることなんかあり得ないし、自分が選んだスポーツで頑張ろうと思ったら多くの人は実力よりも少し上の目標設定をして、その目標が達成できるように頑張るだろうと思う。
その目標を達成するためには、やっぱり何かを犠牲にしたり我慢したりして、練習に励むか学ぶかする時間を確保して継続していく中で、成長して結果に近づいていく。
その目標達成に向けて頑張る「過程」というのは、本人にとって何よりも財産になる。
もう1つの「感動をもらう(与える)事ができる」というのはすごく大きな要素だ。
試練や苦難を乗り越える、努力や練習の成果を発揮する、予想もしていない結果を残す、一生懸命に取り組む姿などスポーツで体現できる感動の様子というのは際限ない。
自分で自分に感動する場面もあれば、人に感動してもらえる場面も多々ある。
プロでなくても、というかむしろ高校野球にしろサッカーやバスケにしろ、アマチュアの方が感動をもらえる方が多い気がする。
成長過程の、技術的にも肉体的にも精神的にも未熟な世代の子たちが、ひたむきに物事に取り組む姿はそれだけで泣きそうになるくらいの感動がある。
特に幼少期から自分でまともに歩くこともできない姿を見ていた親や兄弟、親戚なら余計に感じる事が多いと思う。
また、子供にとっても自分がとった行動で感動を与える経験は何よりも尊いものだ。
こういった経験をしてるかしてないかで、自己肯定感が高まり、そのスポーツでなくても次の新たなチャレンジへのモチベーションを掻き立ててくれる。
何か物事を始める時や行っている時には、目標達成した時や感動した(させた)時の様子が鮮明にイメージできれば出来るほど、再現性が高くなる。
こういった「頑張り方」を学び、「感動をもらう(与える)」経験をした選手達は、きっと自分が行う事で発生する価値を経験として持っていることは、ビジネスの世界においても大切なのではないか。
まさに、スポーツを通じて自分自身が価値ある人間になる経験をする事ができる。
だからこそ、僕はスポーツの価値を信じて、指導者という立場でバスケットボールに関わる。
自分自身もバスケットボールに助けられたり感動した経験をたくさんさせてもらったからこそ、これからの日本や世界を担っていく子供たちにはスポーツの価値を感じてもらい、是非ともスポーツに関わってほしい。
今回挙げた2点の価値とは、別にスポーツに限った話ではない部分もあると思う。
でも、この2点が組み合わさっていて、なおかつ関わりやすい馴染み深いものとしてスポーツはあると思う。
スポーツって素晴らしい。
もっともっとスポーツを楽しんで、スポーツで喜んで、スポーツでアツくなれる地域やチームや人を増やしていきたいと思っている。
ちなみに今回は、僕の大好きなコービー・ブライアントの画像を使用した理由は
僕にとってコービーは頑張り方を最上級に表し続けた選手の1人であり
また、その頑張り方や苦難を経て、最後の最後まで人々に感動を与え続けた選手で
大好きな選手だからである。
正直、最初にコービーのプレーを見た時の印象は「ワガママなだなぁ」と思っていた。
自分ばっかりボール持ちたがるし、すぐにシュート打つし、全然パスせぇへんやんって思った。
でも、もちろんプレースタイルはチームメイトやバランスによって毎年変えていた部分もあったけれど、何よりも結果を残すことに対して貪欲にチャレンジし続けていて、
自分がチームを勝たせるという覚悟を決めていたからこそ
あれだけ目立っていたのだ。
彼が練習の虫だというのは有名な話だ。
努力をする事でしか結果を残す事はできないし、その過程を疎かにしない選手やチームが感動を与えるような姿を皆に見せる。
では、またのちのち。